Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

最近の時事ネタコラム

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こんにちは、不悪口院恵成です。

久しぶりの投稿です。みなさま健やかにお過ごしでしょうか。

 

まずはじめに、台風、地震で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、亡くなられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。

 

実は、北海道の地震で、僕の故郷も被災しました。震源地は、自坊から車でわずか30分ほどの場所。まさか、身近な場所が被災するとは夢にも思わず、まだまだ防災意識が低かったのだと痛感しました。

また、台風により高野山も多大な被害を受け、倒木などで墓石の破損が多く発生。いまはほとんど撤去されましたが、一時は大きく拝観規制も行われました。

 

また、災害については後日、書いて行きたいと思います。

 

 

さて、私は今、ある行事に参加しているので、高野山にて山ごもりの真っ最中。今日は、中日と言うことで久しぶりにゆっくりとしております。

 

最近、なかなか更新ができていませんでしたので、最近の時事ネタをお坊さん目線のコラム形式で書いてゆきたいと思います!

 

相次ぐスポーツ界のパワハラ問題

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思えばアマチュアレスリング協会の問題に端を発して巻き起こったスポーツ界のパワハラ問題。数十年もの間、暗黙の承知で表に出てこなかった様々なパワハラが、ここにきて一気に噴出している感があります。

そして、パワハラ問題のみならず、それを行った指導者の私生活や、運営する団体や学園にまで騒動が飛び火し、もはやなんの話をしているのかわからなくなってしまうのは日本のワイドショーの常と言えるでしょう。

僕は、個人的にはもちろん暴力は反対です。それに関しては、最近タレントの武井壮さんがすばらしい見解をツイッターで示していました。

 

「スポーツ教えるくらいの事で大人が子供殴っていいわけねえだろう。よく考えろ本当に、街で大人が子供殴ったら即通報で逮捕だよ。それが『スポーツ教える』が乗っかったくらいでチャラどころか『素晴らしい指導』になる訳ねえだろう。スポーツやってたらなんかいい事してるみてえな空気で正当化するなよ」

 

スポーツの世界では、怠けているとか手を抜いているとかではなく、シンプルに「うまくいかない」「結果がでない」などの理由で手を挙げるのは、意味が無いだけでなく不用意に選手を威圧してかえって良いパフォーマンスを奪ってしまうのではないでしょうか。

かつてのど根性・なにくそ精神で結果を出せる強い世代と違い、現代の若者は心が打たれ弱く繊細で、臆病です。しかしスポーツ科学は日々成長し、平均的なレベルは上がる一方。

いままで、暴力や恫喝で指導していた労力を、スポーツ科学に任せて、精神的なケアをすることを重視する方が結果が出やすい・・・というのは、グランドスラム日本人初制覇を果たした大坂なおみ選手が私たちに指し示してくれたのではないでしょうか。

 

しかし、僕たちお坊さんの世界では、未だに(暴力とまで言って良いかわかりませんが)頭をひっぱたくくらいの叱り方は当たり前です。それが前時代的と言われればそれまでですが、ひっぱたかれながら修行した僕としては、「口で怒られるより、ひっぱたかれる方が精神的に楽だなあ」と思ってしまいます。笑

 

僕はまだまだ若僧なので、誰かを𠮟ったり、ましてやひっぱたく事はありませんが、後輩が怠けているのを見かけたりすると、「𠮟ってくれるほうが優しい」というのが、わかります。

なぜなら、僕自身が、「𠮟るのは精神的にも肉体的にも疲れるし、そこまでしてやる義理はないからやめておこう」と思ってしまうからです。𠮟る側のほうが案外しんどいんですよね。

𠮟るというのは、相手の成長を願って行うものですから、生半可な覚悟じゃ叱れない。だから、𠮟ってくれる人は優しいと思うのです。

しかし、世の中には、相手を思いやるのではなく、自分の鬱憤、いらだちを晴らしたいだけで立場が下の人間を恫喝し、暴力を働く人がいます。そして、それは暴力をされる側も気付かないことがあります。DVと同じで、閉塞的な環境で暴力を伴った苛烈な指導を受けると、ある種の依存関係が生まれる場合がある。そうした環境は、周りの大人達が適切に、素早い判断をする必要があるのではないでしょうか。

 

・タトゥー騒動にみる承認欲求とエゴ

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とあるタレントが、妻と子供の名前を刻んだタトゥーをインスタグラムにアップして、炎上していました。

そして、その批判に反論してこんなコメントをしていました。

 

「それなりに予想はしてたけど、こんなにも偏見されるのかと思いました。

こんなに偏見のある社会 どうなんだろう。仕方ないよね。ではなく、僕は変えていきたい。

(中略)

結婚して、子供がいつかできたら、

家族の名前を身体に刻もう。と結婚する前、3年前から決めてました。

その3年でたくさん考えて、それなりの覚悟で入れました。」

 

この騒動で、僕が個人的に思ったことをピックアップすると・・・

 

1 タトゥーを入れることは自由。けれど、インスタグラムで自慢する必要はあるのか
2 タトゥーを入れたくらいでわざわざ批判的なコメントが殺到するネットリマナーの低さ
3 偏見という、逆差別
4 批判されてこんなことを言うって、全然覚悟出来てないじゃん・・・
という4点です。

 

一つ目は、タトゥーを入れること自体は自由だということ。自分の身体ですし、カルチャーとしても受け入れられつつあるもの。しかし、それをわざわざインスタグラムにアップして誇示してしまう、ネット社会、SNS社会だからこそ生まれてしまう自己顕示欲。批判をしたひとのなかでも、タトゥーそのものではなく、ことさらにタトゥーをアピールしたことに対する批判がいくつか見受けられました。

家族の愛を証明したいのなら、それは対外的なアピールではなく、あくまで家族の中で完結されるべきものではないでしょうか。それは、芸能人であろうが一般人であろうが変わりません。SNSは、祝福や賛美以上に嫉妬と悪意が溢れていることを、まだこのタレントは気付いていなかったのでしょう。

 

二つ目は、この問題で発生した異常な数の批判コメント。いわゆる「炎上」です。

これも、ネット社会によって露見した人々の心の闇ですが、現代はネットでだれでも公に発言できる時代。そして、気にくわないことがあれば誰かにそれをぶつけなければ気が済まない人が溢れているのです。人は、だれしも心に悶々としたフラストレーションがたまっていますが、かつてはそれをぶつける対象がありませんでした。なので、たばこや酒、趣味でそれを発散していました。しかし現代は、そういった不平不満をネットでぶちまけることができる。しかも、匿名で、特定の人物を、集中的にです。

この構図はいじめと何ら変わらず、「周りもやってるから自分も良いだろう」「間違ったことをしているんだから暴言を吐いても良いだろう」と、集団心理の中で無意識に自分が「相手を責め立てる側」に回ってしまいます。しかし、ネットを離れれば一転、健全な一般人。そこに罪悪感も生まれません。こうした、ネット社会とリアル社会の二重人格化は、きっとこれからの日本人にとっておおきなしこりになってゆくのは間違いありません。

嫌なら見なければ良い。しかし、なにかをきっかけに誰かを責め立てて、溜飲を下げることに快感を覚える。そこに罪の意識もない。むしろ正義感をもっている。ただ自分のストレスのはけ口に、SNSやネットを利用して人を傷つけるネットマナーの低さには、ほとほと辟易するばかりです。

 

三つ目は、「偏見」という言葉による逆差別です。

最近、自分の思想や趣味など、一般的ではないものを公にしてをそれを否定されると「差別だ!偏見だ!」とさわぎたてる事が多いように感じます。

今回の問題だと、タトゥーを入れることによる批判を「偏見」とし、「タトゥーを認めないこの世の中が悪い!」といわんばかりに「僕は変えてゆきたい」とコメント。僕は、大いに疑問を持ったのです。

タトゥーが受け入れられつつあるとはいえ、やはりそのルーツや、タトゥーを入れている人たちのイメージを考えると、やはりまだまだアンダーグラウンドな文化であることは否めません。しかし、個人の趣味として入れる分には批判されることは多くないと思います。しかし、それを誇示したあげく、批判意見を「偏見だ!」というのは、もはやそれは逆差別といえるのではないでしょうか。

かつて流行語大賞を受賞した「保育園おちた。日本死ね」も同じ。自分が気にくわない、うまくいかないことをすぐ社会や世間のせいにしたがる。自分が変わろうともせず、周りに変化を求める。自分の責任を、自分で果たせない現代人の甘えが顕現しています。

 

最後は、「全然覚悟できてないじゃん・・・」ということで、そのままです。笑

3年間考えて、覚悟決めてタトゥーを入れたなら、偏見とか、批判コメントとか気にせず、そんなものはスルーしてどーんと構えていれば、もっと男らしくて、かえって好感が持てたのでは。この「覚悟しました」発言が、かえって覚悟のなさを露呈してしまったのではないでしょうか。

 

お坊さん的に言えば、この炎上問題は、タレントが「僕はこんなにも家族を愛している!」ということを、自己承認欲求がためにネットにさらしたために起ったものだといえます。しかし、ネットユーザのリテラシーのなさが災いし、袋だたきにあったのはすこしかわいそうにも思えます・・・。

 

僕は、元来おしゃべりなので、修行中によく師匠から

「馬鹿はよくしゃべる。賢いものは聞かれて初めて口を開く」と言われました。

結局、僕のおしゃべりも、タレントさんのタトゥー問題も、「だれかにかまって欲しい、認めて欲しい」という承認欲求の表れに他なりません。

承認欲求は、誰しもにあること。しかし、それが認められなかったとき、自分のエゴを自覚せずに、周りの環境のせいにする、ここが、このタレントさんのもっとも愚かな部分ではないでしょうか。

弘法大師空海は「かつて自己が法教に乖越することを顧みず、かえって他人の経法に違反することを談毀す いわゆる己が膿み足をかくして他の腫れ足をあらわす者なり」と言っています。

「自分が間違っていることを隠して、他人の間違いばかりを指摘する」といった意味の格言です。

自分を見つめると言うことは、まず自分の行いを反省することから始まります。

それをせず、周囲にばかり改善を求めるのは、それはたんなる子供のわがままと変わらないのです。

 

 

以上、時事ネタのコラムを2つ、お届けしました。

おわり。南無!

不悪口院くるとん