Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

お坊さんの神道考察⓪イントロダクション なぜお坊さんが神道を学ぶのか?其の一

 みなさんお久しぶりでございます。

すっかり暖かくなりましたが、お山ではまだ朝晩は冷え込みます。

最高の登山シーズンですが、僕は全然山に登れていません....

さて、前々から「神道について書きたい」とぽちぽち発言していましたが、今回はそのイントロダクション(導入)として、「なぜお坊さんが神道を学ぶのか?」というのを書いてみたいと思います。

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①なぜお坊さんは神道を信仰する?

お坊さんは、仏教徒でありながら神道を篤く信仰している人がとても多い。

それは、神道が日本人の魂の根底を支える土着の信仰であるのはもちろん、歴史的に仏教と神道は互いに支え合い、不足点を補いながら発展していった世界にも類を見ない関係をもつ宗教だという側面もあります。(これには批判的な意見もおおいですが...)

 

僕自身、神道大好き坊主なのですが、そのきっかけは高野山に点在する神仏習合の名残に興味を持ったからです。

今回は、その高野山神仏習合の特徴について書いていきたいとおもいます!

 

高野山神仏習合の聖地

奥之院を歩いていると、墓石の前に鳥居があるのを目にします。なぜ仏教のお墓なのに鳥居があるのでしょうか。その謎を解いてゆくには、まずは弘法大師高野山を開創された当時の伽藍の姿を考える必要があります

 

弘法大師高野山を開創されたとき、まず真っ先に伽藍の奥にある御社をお作りになりました。この場所は、高野山に流れる多くの清流の水源となっている弁天岳の尾根にあたり、かつては山内の寺院や宿坊に水を供給する水源でした。

水源というのは古来より神のおわすところとして信仰されたため、ここに御社をお作りになったのです。さらにお弘法大師は伽藍諸堂の中でも講堂(現在の金堂)の建設に着手しました。

伽藍の中心に講堂を据える構図は修験道の山に多く見られ、祭神が最も奥にあって本堂(金堂)の位置を占め、その前に大きな講堂(拝殿)があり、奈良の諸大寺とはちょうど逆になる(五来重修験道の歴史と旅』)のです。

 

修験道は、神道や日本古来の山岳信仰と仏教や陰陽道が結合して生まれた特殊な山岳宗教で、弘法大師も入唐以前は在家の山岳修行者でした。お大師さまが狩人に案内され高野山へと導かれたという伝説も修験道の山に多く見られる物語です。

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また、修験の山の入り口には、鳥居が設けられています。これは、「鳥居をくぐった先は死の世界であり、この世界で清らかとなった心身でまたもとの世界へ帰る」という『擬死再生』を象徴しています。

 

そして、高野山の古代の姿を知る最も古い資料である『根本縁起』の絵図では、修験道の山のように、大門は鳥居だったのです。こういった点から、高野山開創当初は修験道とかなり深い関わりがあったと推察されます。

 

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さて、これを踏まえた上で奥之院の墓石を見てみます。門である鳥居、中央には五輪塔、それを石の柵が囲んでいます。柵は元々「殯(もがり)」といって、神道では死霊の魂を封じ込める結界でしたが、仏教化して弥勒菩薩のおわす都卒天、つまり仏の世界を表すようになりました。五輪塔大日如来そのもので、魂の依り代であり、門である鳥居ももとは死の世界へ入る門を表していましたが、いまでは清らかとなった死者の魂を安住する仏の世界を結界する門へと意味が変わっていったのです。

 こうしたことから、高野山はお大師さまの時代から修験道に多大な影響を受け、今の姿へと変わっていったことがわかります。高野山は、弘法大師の青年期の理想を体現した山上の大宗教都市、神仏習合の聖地なのです。

 

つづく。ナム!

不悪口院くるとん