Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

伝統文化と『女人禁制』 宗教から考える女性差別

 

↑大相撲巡業にて倒れた舞鶴市長に救命処置をする女性

 

最近ニュースを騒がせている大相撲の不祥事。大阪場所を見に行ったばかりで相撲熱が上がっていた僕としては、残念でしかたのない報道の連続です。

そのなかでも、今回物議をかもしている『女性と土俵』問題。

 

>4月4日、京都府舞鶴市で開かれた大相撲の春巡業「大相撲舞鶴場所」で、多々見良三市長が土俵上であいさつをしているときに突然、仰向けに倒れた。場内は騒然とし、関係者がうろたえるなか、観客のうちから数人の女性が応急処置に駆けつけた。その際に、「女性の方は土俵から下りてください」と数回、場内放送が流れたことに批判が集まっている。 (ビジネス・ジャーナルより)

 

昨日、僕の職場に某テレビ局から電話がかかってきて「近世まで女人禁制を守っていた高野山ですが、今回の問題をどうとらえていますか」とのインタビューが。

それ自体は担当部署にお任せしましたが、その過程でいろいろと調べたうえで、思ったことを綴っていこうかと思います。

 

なぜ伝統文化・宗教で女性が差別されるのか

日本の宗教界では、いまだ女性差別が横行しているのが現状です。

それは、理論や信仰以前の、宗教者の遺伝子がそうさせてしまっているのは間違いありません。

宗教者の遺伝子・・・とは、血縁のように、連綿と伝わってきた法流(師弟関係によって繋がれた教えの血脈)を指した僕の造語です。

この宗教者の遺伝子は、伝統や文化を口伝で受け継ぐ良い作用も多分にある反面、「女性は宗教の表舞台に立つな」という差別的な見解も受け継がれてしまっているという側面もあると思うのです。

 

仏教でも、ブッダははじめ女性の出家を禁じていましたし、歴史上「女性は成仏できない」ともいわれてきました。

神道では『穢れ思想』というものがあり、月経をともなう女性は神事には参加できず、例外的に神事に従事する巫女も《11歳までの処女》が選出される・・・つまり月経前の女性しか選ばれないという『血を嫌う宗教者の遺伝子』が数百年も受け継がれていたのは事実です。

こうした、『女性である』というだけで無条件に差別する宗教的思想が、ごく最近まで当たり前のようにまかり通っていました。

今回の相撲協会の対応も、こうした伝統に影響を受けたものでしょう。

 

しかし、中にはいちおう理由らしいものがつけられている女人禁制も多く存在します。

日本では伝統的に「山の神は女性である」という考えから、『山の神が嫉妬する』という理由で山間部で行われる祭りは女人禁制のものが多くあります。

 

また、今も女人禁制を守る大峰山は、修験道の修業は非常に危険で死の可能性が多分にあるため、女性はこの修験の道場に入ることを許さない」としています。

 

さらに高野山では、弘法大師空海「女性は子孫長久の基本であり教えを広く伝える根幹で尊いものではあるが、こと《修行中の男性僧侶》にとっては欲望の根源にしかならない。なので、修行道場である高野山で、僧侶が生活するところは女人禁制である」と、今でいうところの男子寮的な扱いで明治期まで女人禁制を守っていました。高野山のお坊さんだからかもしれませんが、これは今でもそこまでおかしくない理論だと思います。男は馬鹿だから・・・笑

 

当時は、社会的に男性が中心であり(今でもそうかもしれませんが)女性はまさに『子を産み、育てるもの』としか考えられていませんでした。

世の中が平和であった平安時代や江戸時代はある程度女性の立場もあったそうですが、動乱の時代ではやはり男性が中心となってしまうのが世の常なようです。

 

しかし、現代社会はちがう。

 

『女性だから』だというだけで差別するのは、時代に逆行しているだけでなく、一人ひとりの能力を加味せず偏見で人を断ずる、無知で愚かな行為だといえます。

 

前回のパワハラ?愛情?お坊さんからみたスパルタ教育とは・・・映画『セッション』からみる「叱る教育」の功罪②でもいった通り、仏教には『対機説法』という考えがあるので、性差や人種などではなく、その人の個性や能力を見極めたうえで答えを出す、というのが正しい宗教者としての立場なのではないでしょうか。

 

相撲という伝統行事を守ろうという気概は否定しませんが、なんの意味もない差別を助長する伝統なら、捨ててしまったほうがいいのではないでしょうか。

女性差別を後押す伝統なんかより、もっと守るべき伝統があるんではないでしょうか?

 

大好きな相撲だからこそ、こうした残念な報道がなくなることを祈るばかりです。

 

おわり。ナム。

不悪口院くるとん