Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

日本の登山の歴史は信仰にあり!

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山の季節がやってきましたねー!

春山好きとしては、桜が開花するくらいの今の時期が、最高の登山シーズンです!

関西には、日帰りで登れる低山がたくさんあり、僕みたいなライト層には格好の場所なんです。

ここ数年、登山ブームが続いていて、もはやブームというより大衆的な趣味としてひとつのジャンルを築きつつあるのではないでしょうか。

日本には本当に山が多くありますが、ただの登山スポットとしてだけでなく、その信仰的な側面も学べばより一層楽しめるのです。

なぜなら、日本における山の歴史は、信仰の歴史とほとんどイコールだからです!

 

 

今日は、そんな信仰の山道のなかでも、特に世界的な評価を受け、世界遺産に登録された高野山を含む紀伊山地の霊場と参詣道についてお話します。

一昨年には黒河道や女人道も追加登録され、高野山の山道はまさに世界に誇る信仰の道と言って過言ではなくなりました。


世界遺産となった参詣道のひとつ、町石道は言うまでもなく弘法大師を慕って集まった
信者が歩んできた道ですが、熊野三山高野山を結ぶ小辺路は山岳修行の道であり、弘法大師高野山を開創する以前からこの高野山には人々が行き交ったと思われます。

それは、この地で狩りなどをして生活を営む山人や、高野山麓の里・天野を本拠地とする修験者たちです。修験道奈良時代の呪術者・役行者を開基とする山岳宗教で、日本土着の神道弘法大師以前の雑密などを融合した独自の信仰で、修験の行者は神通力を得るために険しい山々に登り修行することから俗に山伏とも呼ばれ、当時の都の寺社仏閣とは一線を画していました。

 弘法大師も一九歳で大学を出て三十一歳で中国に渡るまで修験者のように山野を駆け巡り修行をしていたと思われ、その影響が高野山の随所に見られます(大門はもともと鳥居であり、奥之院の墓碑にも鳥居がみられる。壇上伽藍の配置も修験寺院の伽藍と配置が似通っている)。

弘法大師が狩人の姿をした高野明神の導きで丹生都比売明神から高野山を託されるという伝説は、天野の山人・修験者(高野明神は彼らの先祖神と思われる)や、彼らの氏神である丹生都比売明神に対する畏敬の念の現れといえます。

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弘法大師自身が山で修行をしたからこそ、弟子達が修行をする理想の地として高野山を選んだのでしょう。登山客が何気なく歩くその山道の奥深くには、いにしえの山人達の強い思いが込められているのです。

 

じゃ、山登ってきます!笑

 

おわり!ナム!

不悪口院くるとん