Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

高野山と神道のかかわりとは?お墓から見る神仏習合

最近、更新がなかなかできず・・・忸怩たる思いです。

これからはもっと頑張ります!

さて、今回のお題は・・・

高野山神道のかかわりとは?お墓から見る神仏習合

です!

f:id:sangha:20180227092053j:plain

高野山・奥之院に見られる墓石

 奥之院を歩いていると、墓石の前に鳥居があるのを目にします。なぜ仏教のお墓なのに鳥居があるのでしょうか。その謎を解いてゆくには、まずは弘法大師高野山を開創された当時の伽藍の姿を考える必要があります。

 

 

f:id:sangha:20180302170139j:plain

弘法大師高野山で最初に作った大伽藍・御社

 弘法大師高野山を開創されたとき、まず真っ先に伽藍の奥にある御社をお作りになりました。この場所は、高野山に流れる多くの清流の水源となっている弁天岳の尾根にあたり、かつては山内の寺院や宿坊に水を供給する水源でした。


水源というのは古来より神のおわすところとして信仰されたため、ここに御社をお作りになったのです。さらにお大師さまは伽藍諸堂の中でも講堂(現在の金堂)の建設に着手しました。伽藍の中心に講堂を据える構図は修験道の山に多く見られ、祭神が最も奥にあって本堂(金堂)の位置を占め、その前に大きな講堂(拝殿)があり、奈良の諸大寺とはちょうど逆になる(五来重修験道の歴史と旅』)ので
す。修験道は、神道や日本古来の山岳信仰と仏教や陰陽道が結合して生まれた特殊な山岳宗教で、弘法大師も入唐以前は在家の山岳修行者でした。

弘法大師が狩人に案内され高野山へと導かれたという伝説も修験道の山に多く見られる物
語です。
また、修験の山の入り口には、鳥居が設けられています。

これは、「鳥居をくぐった先は死の世界であり、この世界で清らかとなった心身でまたもとの世界へ帰る」という『擬死再生』を象徴しています。
そして、高野山の古代の姿を知る最も古い資料である『根本縁起』の絵図では、
修験道の山のように、大門は鳥居だったのです。こういった点から、高野山開創
当初は修験道とかなり深い関わりがあったと推察されます。

さて、これを踏まえた上で奥之院の墓石を見てみます。門である鳥居、中央には五輪塔、それを石の柵が囲んでいます。柵は元々「(もがり)」といって、神道では死霊
の魂を封じ込める結界でしたが、仏教化して弥勒菩薩のおわす都卒天、つまり仏の世界を表すようになりました。

五輪塔大日如来そのもので、魂の依り代であり、門である鳥居ももとは死の世界へ入る門を表していましたが、いまでは清らかとなった死者の魂を安住する仏の世界を結界する門へと意味が変わっていったのです。
 

f:id:sangha:20180222215124p:plain

こうしたことから、高野山弘法大師の時代から修験道に多大な影響を受け、
今の姿へと変わっていったことがわかります。高野山は、弘法大師の青年期の
理想を体現した山上の大宗教都市なのです。

 

おわり!ナム!

不悪口院くるとん