Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

真言宗ってどんな教え?入門編

大学生のとき、人前で話す用に書き溜めていたものをここで放出します。

テーマは、「真言宗ってどんな教え?」です。

今見返すととても抽象的で、ソースもなにもない拙い文章ですが、根っこの部分は今と変わらない気がするので、ここに書き記しておきます。笑

 

 

「以前、お参りいただいた方にこう尋ねられたことがあります。
真言密教は、まじないを中心とした偶像崇拝ではないのですか?」
確かに世間では、そういった部分が密教の特徴だと思われているのでしょう。現に密教では加持祈祷や護摩などを行いますから、それをおまじないと呼ぶ方も多くいます。
さらに、密教世界をあらわした曼荼羅には数多くの仏や神が描かれ、本尊としてお祈りしますので、それを偶像と言ってしまうのも理解できます。
しかし、真言密教の本質を言うならば、私は「NO」と答えます。

結論から言えば、密教曼荼羅とその中心の大日如来をとおして、世界の根源である宇宙を体感する神秘的な教えです。
森羅万象の大自然が全ての命を生み出し育む摂理を胎蔵曼荼羅で表わし、それすらも包みこむ偉大な宇宙の法則を金剛界曼荼羅で表わします。その中心にいる大日如来がすなわち宇宙そのものであり、その大日如来と一体になるための教えが真言密教なのです。

 仏教では古来より、本来“自分”という存在は無いと説きました。これは、欲望のままに食べ物や異性を求め執着する“我”から離れる事によって悟りを得るという考えで、“無我の境地”と呼ばれます。さらに、世の中のすべてのものは、雨や風と同じように、一瞬で過ぎ去る“現象”
だというのが般若心経などで説かれる“空(くう)”という境地です。姿形を変えずにずっとそこにあるものは何一つありません。建物や、岩や、大地でさえも果てしない宇宙の時間からすればごく一瞬のうちに生まれては消えてゆく現象である
と言えます。わたしたち人間も、100年前後のわずかな時間に生まれては死んでゆく、風のように過ぎ去る命です。
さらに発展して、真言密教では、宇宙から生まれ宇宙へと帰ってゆく自分の命は、
すなわち宇宙そのもの、つまり大日如来であるという境地を説きます。
そして、大日如来に近づくために身と口と意(こころ)を仏に近づける三密修行をします。それによって、宇宙から生まれたこの身体のままで大日如来そのものとなる、これが真言密教の極意である“即身成仏”です。
これを、思想的な側面だけで捉えてしまうといかにもオカルトチックですが、これを違う方面から見てみましょう。
私たちは、両親の愛によって生まれました。その両親も、また両親の愛によって生まれています。そのように遡っていくと、私たちの命というのは果てしなく古代から連綿と続いていて、進化の系譜を遡り、ついには地球の誕生にまでその起源を辿れます。その果てしない命のリレーの中の一つでも欠けていれば私たちの存在はあり得ません。わたしたちの命は、遡れば宇宙から生まれたと言っても過言ではないのです。


その宇宙から生まれては死んでゆく私たちの命は、様々な形で後生へ受け継がれていきます。それは遺伝子や知識の伝承であり、私たちの命は死んだら終りではないのです。
いまでも私たちを生かしてくれる遺伝子に感謝するのが先祖供養であり、すべての命は同じ宇宙から生まれたと悟り、自身と他すべては同じ存在だと悟れば、他の者に対する慈悲が生まれます。
つまり自分も他の全ても全て大日如来だと悟ること、自他法界の境地こそが慈悲や感謝を生み、幸せな心を持てるというのが真言密教の教えです。だからこそお大師様は今でも、宇宙そのもの、大日如来そのものとなって、いまでも私たちのために祈って下さっているのです。
そして、私たちはお大師様の教えによって生かされています。つまり、お大師様は私たちの中で今もなお生き続けているのです。私たち全て人間が、お大師様と
同じように大日如来だと気付いて幸せな心を持つことこそが、お大師様の究極の夢なのです。」

 

以上。なんかやっぱ青くさくてこっぱずかしい。笑

まぁいいや!

 

おわり!ナム!

不悪口院くるとん