Sangha‐サンガ

日常に役立つ仏教を考える僧侶のブログ

般若心経考察 ①般若心経に出てくる「観自在菩薩」って誰!?

 

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さて、いよいよ般若心経の不悪口院的考察のコーナーが始まりますよ。

今回メインテーマは「観自在菩薩」とは誰のことか

 

ここで説明するのは、般若心経の題目である「仏説摩訶」〜「舎利子」まで。

仏説摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五

蘊皆空度一切苦厄舎利子

 

※書き下し

仏の説きたまえる摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行ずるとき

五蘊は皆空なりと照見して

一切に苦厄を度したもう

舎利子よ〜

 

僕は、真言宗の坊さんなので

頭に「仏説」をつけます。

ほかの宗派ではつけないことが多いんですが、実は、この「仏説」こそが、今回のテーマの重要なポイントになります。

 

それでは、解説していきましょう。

 

※この考察は、あくまで不悪口院くるとんが修行の中で師匠に学んだ口伝(口伝え)をベースにしています。異論もたくさんあると思いますので、ご了承ください。

 

 

仏の説きたまえる摩訶般若波羅蜜多心経

 

仏の説きたまえる〜とは、そのまま「ブッダが説いたお経」という意味です。

ブッダといっても、世の中には数多くのブッダ(如来、仏)がいますが、このお経に関してはのちに舎利子(釈尊十大弟子であるサーリプトラ)が登場するので、すなわち仏=釈尊(ゴータマ・ブッダ)ということになります。

 

つまり、このお経のイメージは

釈尊が舎利子に教えを説いていて、それを多くの聴衆が見ている。公開授業のようなもの

です。

釈尊対機説法といって、マンツーマンでその人に合った教えを説き、それを聴衆に聞かせるような説法を用いていました。

 

では、舎利子にどんな教えを説こうとしているのか。

それは、直訳すれば

 

摩訶=大いなる

般若=最高の仏の智慧

波羅蜜多=を悟るための修行

心=真髄の

経=お経

 

となります。

つまり、

「偉大な仏の智慧を得るための真髄を説いたお経」といったところです。

これを「今から説明するよー」ということですな。

 

 

 

観自在菩薩は深般若波羅蜜多を行ずるとき

 

今回の1番のテーマです。

 

まずは、訳してみます。

 

観自在菩薩は

深=深い

般若波羅蜜多=仏の智慧を悟るための修行

を行ずるとき

 

般若波羅蜜多というのは題目でも出てきました。仏の智慧を得るための修行ですね。

それを「観自在菩薩」が「深く」行なっているんです。

では、この観自在菩薩とは一体誰なのか。

 

観自在菩薩は、一般的には「観音さん」と呼ばれ、修行をしながらも人々を救おうという菩提薩埵(略して菩薩)と呼ばれる方です。

半人半仏といったところでしょうか。

 

しかし、このお経は「仏説」とありますし、聴いているのは釈尊の最高の弟子である「舎利子」ですので、ここに観自在菩薩という「第三者」は入り込めません。舎利子は、阿羅漢の悟りを得ているので、ブッダの次に高位な存在とも言えます。

 

では、この場合の観自在菩薩とは....

不悪口院的考察では、般若心経に登場観自在菩薩は「悟りを得る直前の釈尊」であると考えます。

 

「深般若波羅蜜多(深い仏の智慧悟るための修行)」とは、断食などの苦行をやめ、菩提樹の下で釈尊が行なった瞑想のことを指します。

瞑想によって悟りを得ることを「深い般若波羅蜜多」というので、釈尊にとっても他人の経験や物語ではなく、「自身の過去の体験」を引き合いに出しているというのが通常の捉え方ですよね。

菩薩というのは、姿形は出家前の釈尊モデルにしていますし、「仏になる前の修行者」を意味しますから、この「観自在菩薩」というのは悟る直前の釈尊をあらわすメタファーだと考えられます。

そもそも「観自在」とは「世の中のことをありありを観察することができる」という意味がありますから、もうほとんどブッダに近い、完成間近の菩薩という意味でも、この説は有力だと思われます。

 

つまり、このお経は釈尊が、自分の体験をもとに悟りを得るための真髄を弟子に説いているものだと考えられます。

 

まず、ここを理解しなければ、お経自体のイメージが湧きませんから、覚えておきましょう。

 

五蘊は皆 空なりと照見して一切の苦厄度したもう。

 

五蘊とは、

⒈色(肉体)=この身体

⒉受(感受性)=身体で受ける感覚

⒊相(想像)

⒋行(行い)=⒈〜⒊に反応して起こる心の作用

⒌識(認識)=

 

です。つまり私たち人間は全て肉体、感覚、感情、想像、情緒、認識によって世の中を把握し、他人と関わり、色々と思いを巡らせて生きているということ。そこから怒りや悲しみや喜びも生まれますし執着も生まれるので、仏教では五蘊が煩悩の根源と考えるんです。

 

でも、五蘊は皆空なり」

つまり、五蘊はすべて空(他からの影響によって存在しているので、不確定で、常に変化している)と説くのがこの般若心経です。

 

「人間、色々と問題がおきて悩みも尽きないけど、決まり切ったものじゃないからいつまでもそこにとらわれるなよ」という釈尊からのメッセージです。

逆も然り。

「今は幸せだろうけど、その幸せも永遠じゃないから気をつけろよ」という警鐘でもあります。

 

この「空」は、一言で説明するのが非常に難しい。

なので、後に「色即是空」の部分で詳しく解説します。

 

舎利子よ

 

これまでは、釈尊の経験をもとに般若心経の概説をといた序文でした。

オチを先に言ってるんですね。「修行したら、どうなるのか」と。

 

そして、ここから「舎利子よ、聞きなさい」と問いかけて、詳しい説明に移るわけです。

 

 

僕個人は、この序文こそが般若心経を理解するために重要だと思っているので、かなり長くなってしまいました。

 

次からは、もう少しポンポン行けたらいいな。笑

 

まだまだ続きますがひとまず。

 

おわり。ナム!

不悪口院くるとん